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Channel: 浅き夢見し…
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身分制度

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随分昔になりますが、学生時代に習った身分制度に関してですが…


時代の変遷によっても、種々の身分・階級が存在してはいましたが?




江戸時代なんかは『士農工商』と、教わり…???な状態だった気がする。


本来『士農工商』とは職分、職業選択の自由が無かった当時の職業は世襲。




身分制度としては、市民階級の『士農工商』に賤民階級の穢多(えた)と人別帖(戸籍)外の非人



基本的に日本では奴隷制度が有りません、飽く迄も共同体を外れた(外された)身分が有っただけ。

穢多は南北朝時代頃から卑賤の意味をもつ穢多の字があてられ、地位・身分が低いことを表したが。



吉原の下足番や始末を担当した、謀反の咎で本姓を除かれて非人(ひにん)姓にされたとあります。

また後に農地から逃散し人別帖(戸籍のようなもの)から除かれた人も非人とよばれます。



いわば本来の身分制度から離脱した人を非人と呼んだようです。(人を罵る『人非人』もそう)

人であって人でなし、存在してるのに社会からは抹殺された人…決して奴隷では無いんですよね。



これら『穢多非人』も明治維新で『士農工商』と共に廃止されました。


お隣の国では1910年(明治43年)ですら、国民の40%が奴隷だった。




日本は基本的に共同体社会、或る意味社会主義と見紛うばかりの社会で、富の均一化が為されてた。

年貢等で集められた富は米の石高で計算され、行き過ぎた富の集中には何らかの形で再分配された。



お隣の国の朝鮮王朝(李氏朝鮮)は1392~1910年まで508年間続き27人の王を拝したが…

朝鮮という国号は李成桂が明の皇帝朱元璋から下賜されたもので、貢物が少ない事を揶揄した名称。



明から正式に朝鮮国王として冊封を受けたのは太宗の治世の1401年であった。

中国王朝が明から清に変わった17世紀以降も、引き続き李氏朝鮮は中国王朝の冊封体制下にあった。



1904年の第一次日韓協約で日本人顧問が政府に置かれ、
翌1905年第二次日韓協約によって日本の保護国となり、
1907年の第三次日韓協約によって内政権を移管した。



こうした過程を経て1910年8月の「韓国併合ニ関スル条約」調印により大韓帝国は日本に併合され、
朝鮮民族の国家は消滅した。



これによって漸く身分制度廃止、良民(両班、中人、常人)の差別は無くなり…


50%超の賤民(白丁)は解放され、40%超の奴婢(奴隷)は廃止された。




先進国で奴隷を持たなかった数少ない国民は日本人。


戦争中でも大多数の日本兵は虐殺なんてしなかった。




基本的に日本兵は武士の流れをくみ、大和魂は一般人に武器を向けない。


人種や動物にすら平等だから白人に疎まれた(^^♪


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