身分制度としては、市民階級の『士農工商』に賤民階級の穢多(えた)と人別帖(戸籍)外の非人
基本的に日本では奴隷制度が有りません、飽く迄も共同体を外れた(外された)身分が有っただけ。 穢多は南北朝時代頃から卑賤の意味をもつ穢多の字があてられ、地位・身分が低いことを表したが。 吉原の下足番や始末を担当した、謀反の咎で本姓を除かれて非人(ひにん)姓にされたとあります。 また後に農地から逃散し人別帖(戸籍のようなもの)から除かれた人も非人とよばれます。 いわば本来の身分制度から離脱した人を非人と呼んだようです。(人を罵る『人非人』もそう) 人であって人でなし、存在してるのに社会からは抹殺された人…決して奴隷では無いんですよね。
日本は基本的に共同体社会、或る意味社会主義と見紛うばかりの社会で、富の均一化が為されてた。 年貢等で集められた富は米の石高で計算され、行き過ぎた富の集中には何らかの形で再分配された。 お隣の国の朝鮮王朝(李氏朝鮮)は1392~1910年まで508年間続き27人の王を拝したが… 朝鮮という国号は李成桂が明の皇帝朱元璋から下賜されたもので、貢物が少ない事を揶揄した名称。 明から正式に朝鮮国王として冊封を受けたのは太宗の治世の1401年であった。 中国王朝が明から清に変わった17世紀以降も、引き続き李氏朝鮮は中国王朝の冊封体制下にあった。 1904年の第一次日韓協約で日本人顧問が政府に置かれ、 翌1905年第二次日韓協約によって日本の保護国となり、 1907年の第三次日韓協約によって内政権を移管した。 こうした過程を経て1910年8月の「韓国併合ニ関スル条約」調印により大韓帝国は日本に併合され、 朝鮮民族の国家は消滅した。